芸能人出家騒動と右傾化する世界

芸能人出家騒動と右傾化する世界


TVはあいも変わらず某美人女優さんの出家騒動で騒がしい。その宗教団体はかつてほどの拡大はしなくなってきたそうだ。おそらく戦後に急速に拡大した宗教団体はどこも似たり寄ったりの状況だろう。TVがつまらないのでネットを観るとこっちは、世界が右傾化しているとうるさい。昨今の欧米は反グローバリズムかつ保守的な勢力が台頭してきているかにも見える。それを右傾化すると見るかはともかく、確かに日本でも欧米でも自国愛と異国人排除を声高に叫ぶ人々は目立つ。
 さてそこでだ。それらの自称愛国者の人々の中にも、何らかの大きな見返りがあれば、迷いこそすれ結局は祖国を裏切る人も一定数いるのではないかと考える。
 なぜそう思うのか。
  右傾化の象徴として取り上げられる人々はどんな人達なのか?むろん真に愛国心から祖国の現状に黙っておられず行動に出るという動機は同じだろう。しかしその根底にあるのものは人それぞれではないか?愛国心は本能ではないかもしれず、きっかけの一つに過ぎない可能性だってある。
充たされない日々の理由が、異国人の存在のせいだと感じ行動するのなら、充たされない部分を誰か(今まで否定していた異国人の勢力)が、その経済力や影響力で、充してくれるとしたら?それは金銭の誘惑だけではないかもしれない。或いは名声かもしれず、或いは人気かもしれず。
 人の本能にある承認要求は大きいかもしれない。社会に認められたい、家族や親類に褒められたい。異性にモテたい。それらも充す誘惑があるとすれば?そのようなものに負ける程度の愛国心だったなら、もしくは強い愛国心があっても、その人の日々に足りない何かが、絶望的に不足した状況ならば、悪魔の誘惑とわかっていても従ってしまうかもしれない。それを誰が責める事が出来るだろうか。
 では、そういった可能性がある一定数とはどのくらいの割合なのか?ここが大きな問題だ。
 そこで冒頭の話に戻る。
かつては人の心の空虚を埋める働きかけをつとめていたのは信仰だった。第二次大戦直後の荒廃した世界で、雨後の筍の如く様々な新興宗教が現れ勢力を拡大したのは、そこに需要があったからだ。件の宗教団体もその一つであった。かつては。
 今の彼らには混迷した現代の人心を救う力がないのか、或いはそう思われていないのか。ともかく迷える人々がそれら宗教団体からも離れて行った事実がそこにある。そこで広告塔(美人女優さん)が必要だったというTVのコメンテーターの主張だった。仮にそうだとして、現代の迷える人々は広告塔なんかに釣られるものかな?と疑問ではある。今のところ、中途半端な愛国スレッドの方がよほど彼らの心を惹きつけて入る気もする。そういうものは今、とても多く、動画でもサイトでも大盛況だ。質も様々で、とても良心的な情報提供や意識向上を呼びかけるような内容のものもあれば、過激で排他的な悪意に満ちたものもある。一括りにはとてもできない。
 この様な状況を危ういなと思う。そこに集まる人間が多ければ多いほど、問題の(一定数)の割合も増える。
不安や不満がたまる場所に誘惑はつきものだ。
それが少々の詐欺まがいくらいならまだマシだが、何かそれ以上の悪い事が起きないか心配だ。
だからと言って、先導者を求めているわけではない。確かに彼らは良き先達を必要としているだろう。だが、それはもはやそれこそ信仰の域に属するものに非常に近くなるだろう。かつての人々が教祖様に従ったのと同じだ。それこそ危うい。
 では、国家が介入するか?それも難しい気がする。それは一つ間違えれば、かつての共産主義革命の再来にしかならず、結末は血の粛清という惨劇に決まっている。こちらはもっと危険だ。
 では、迷える大衆をどうすればテロを防ぎ、赤化もせず、導けるのか。20世紀の失敗例を生かし21世紀らしい対応とは何なのか。それを探すのが平成の世の終わりを迎えようとしている日本の旅なのだという気がする。

 つまらない芸能ネタとグルメ情報くらいしか放送しないダメな地上波だが、ごく稀に良い番組もある。だから、ほんのわずかな期待はしている。もしかすると、自信と自覚に目覚め、自己改革して人々の生活を潤わせる放送局へと変身してくれるのではないか。そのためには日本だけではなく、今の枠組みを全く変えて新しいTVのあり方に変わらねばなるまい。反グローバリズムでもグローバリズムでもない新しい世界を先導できる可能性はまだ極々、少ない希望だが、TVにも、わずかにある。それをうまく見つけてほしい。